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REPORT

故郷で夢をかなえるという生き方について

阿形佳康さん・友梨さん
タイ料理専門店〈タイニー食堂〉店主

「とてもちっぽけな」
というニュアンスを含む“Tiny(タイニー)”という言葉がある。
それを念願だった自分たちの店の名前に
堂々と選んでしまえる阿形佳康さん・友梨さん夫妻は、
とてもつつましい人たちなのだと思う。

「自分の生きる道はなんなのか」
おそらく若いうちに大半の人が抱くであろう、シンプルな疑問。
御前崎市役所から徒歩圏内にあるちいさな店には、
長い間見つからなかったその答えをカタチにした店主の思いと、
おいしくて本格的なタイ料理があった。

Episodes
1.シアワセのあるキッチン
2.そしてふるさとへ

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1.シアワセのあるキッチン

コックさん、お医者さん、警察官、キャビンアテンダント、または戦隊ヒーロー、お姫さま……。幼き日々に描いた夢を覚えている人は、どのくらいいるだろう。故郷である御前崎で2017年8月にタイ料理専門店〈タイニー食堂〉をオープンさせた阿形佳康(あがたよしやす)さんの場合は、喫茶店のマスターだったという。

「親戚のおじさんがやってたんですよ。喫茶店。はじめてそれを見たとき、子ども心に衝撃的で。好きなレコードをかけて、仕事になるなんて、いいな~って(笑)」

ランチタイムを終えた週末の午後。こじんまりした店内にあるカラフルなイスに夫婦で仲睦まじく腰かけて、佳康さんはあどけない少年時代をふり返ってくれた。しかし、募らせた思いがすんなりかなうことがごく稀なのは、大人ならだれでも知っている。佳康さんもまた、例外ではない。夢の厨房に立つまでには、かなりの時間がかかったし、一息には語れない、それ相応のストーリーが待っていた。

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そもそも佳康さんにはストレートにやりたいことを追いかけられない事情があった。若いころから悩まされた、生活のなかで突然、動機や息切れを引き起こす疾患。「そのせいで、なかなか定職につけなくって。治したくて、でもひとりじゃ生きていけないから、知り合いを頼って宮崎や北九州に住んだりしました。旗振りのバイトしながら、休日は友人とサーフィンやったりして。仕事は暮らすだけのお金を稼げれば、まあなんでもいいかなという感じでしたね」

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九州を経て、いったん御前崎に戻り、知人の会社で働き、そして東京へ。傍からは奔放にも映るが、環境の変化とともに揺れ動いていく暮らしの中で、当たり前に働くことすらままならない時期もあった。「自分のことを支えきれないって、離れていく人もいて」。

話を聞きながら、自慢のタイ料理をつくってもらうことにした。となりにいた奥さんの友梨さんとふたりで厨房に入り、かろやかに作業を始める。「ユリちゃん、あれどこにあったっけ?」、「よっちゃん、これ使っていいの?」。心地いい掛け合い。真剣なまなざし。ジュージューとフライパンの上で踊る具材と、炊飯器の湯気とともに辺りをつつむ、ふくよかなタイ米の香り。何かを生み出そうとするあたたかいパワーのようなものが、キッチンを徐々に満たし、彼らが本当にタイ料理を好きなのが伝わってくる。それは見ている人までもどこかシアワセな気持ちにしてくれる、ちょっとまぶしいくらいの光景だった。

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東京での生活に疲れた当時の佳康さんは単身、沖縄へと移住する。もうすぐ40歳になろうとしていた。それでもまだ、進むべき道は見えていなかったという。

2.そしてふるさとへ

佳康さんは那覇市に家を借り、そこでの暮らしが今へとつながるターニングポイントとなった。それが、いろんな土地を渡り歩き、最後にたどり着いた南の島での話なのだから、ドラマティックといえばドラマティックだ。

「自然に囲まれながら自給自足の生活をする〈ビーチロックビレッジ(BRV)〉っていうキャンプ場やカフェのある村みたいな施設が沖縄にあって。全国からボランティアスタッフが、多いときは100人くらい集まってくる場所なんですけど。そこでぼくもスタッフとして、みんなのまかないをつくったりしながら働いていました」

ある日、突拍子もなく、BRVのオーナーが、劇団をやる、と言い出した。演者はスタッフ。舞台は山奥。あまりにも荒唐無稽で「すごいな(笑)」と思っていた佳康さんに、「よっちゃんの病気も知っているし、治したい気持ちもある」とオーナーは言った。

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燦々と照りつける南国の太陽のもと、たくさんの人と触れあい、舞台で何者かを演じながら、佳康さんはオープンキッチンのフレンチレストランで料理を学びはじめる。一時は持病のせいで人前に出ることすらままならなかった彼にとっての、大きなチャレンジ。最初こそ手がふるえたが、ある決心が彼の背中を前へと押していた。

「オレは本当は何をやりたいんだろう、って考えたとき、やっぱり飲食店をやりたいって気持ちが、強く湧いてきたんです」

少年のころに憧れたおぼろげな夢は、長い時間をかけてゆっくりとカタチを変え、手の届く確かな目標としてハッキリと姿を現した。やがて沖縄へ旅行に来ていた友梨さんと出逢った佳康さんは、彼女とともに東京へ戻り、彼女が勤めていたタイ料理店で働くことに。「いつかは自分の店を持ちたい」という思いを持ったふたりだったから、もうどうなっていくかは決まっているようなものだった。問題は、ひとつだけ。「沖縄か、御前崎か。どちらに店を出すかで迷ったんです」。

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経営だけを考えれば、国内有数のリゾート地である沖縄のほうがよほどよかっただろう。そうしなかった理由は「親孝行がしたかったから」。佳康さんのその言葉はいたってシンプルだったけれど、とても大切なことのように思えた。

そして生まれ育った故郷だからこそ、手を差し伸べてくれる人たちもいた。知り合いの鳶職の社長は「店を開けるまで面倒をみてやる」と、1、2年で辞めるのを承知でオープンまで佳康さんを働かせてくれた。物件を借りれば、後輩の大工が格安で施工してくれて、ふたりの希望通りどことなくエスニックな野趣が漂う「沖縄の屋台」をイメージした店が完成した。

沖縄を選ばなかったことを、友梨さんはどう思っているのだろう。「まあ、やってみて、ここでよかったなって思っています。せかせかしなくなったし。東京のときは仕事量もすごくて、大変だったんで。気持ちがぜんぜんちがう。タイ料理を知らない人も多くって、『いままで食べたことなかった』なんて言ってたおばちゃんが、週に一度『自分へのご褒美』だって食べに来てくれたり。いまはいろんな人にタイ料理を広めたり、おいしいって言ってまたお客さんが来てくれるのが、とにかくうれしいですよね」

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外壁のペイントは、沖縄で知り合ったペインターが開店祝いに描いてくれた。店内にあるタイ語で「タイニー」とデザインされたサーフボードも、お世話になった鳶の社長からの祝い

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彼らのつくってくれた料理がテーブルに並んだ。ガパオライス、グリーンカレー、トムヤムヌードル。タイニーの味付けはスパイスの配合から手作りで、スイートチリソースなんかも若いころから専門的に修行してきた友梨さんのオリジナル。さっそくいただくと、「こんな本格的なやつは、この辺りじゃ滅多に食べれないですよ。ウマい!」と、撮影していたタイ料理好きのカメラマンが唸る。

「店名は“食堂”ですけど、ふらっと寄って一品つまんで呑むみたいな気軽な使い方もできる店だって知ってもらいたいです。経営が落ち着いたら、子どもたちにアルバイト体験をしてもらえる場にしようとか、いろいろ考えているんですよ。ぼくがこの店をはじめたのが43歳。いくつになっても、意地になってでもあきらめなければなんだってできるって、伝えられたらいいですよね」

やさしい人たちに支えられ、故郷だからこそのカタチでかなえられた、ふたりの長年の夢。そこには、未来への希望があり、また、彼らの生き方は、地元で何かにチャレンジしようとする人や、困難にくじけそうになっている人へのヒントが詰まっているようにも思える。

ところで、生まれたまちで働くという佳康さんの“親孝行”を、両親がどう感じているのか。気になって質問してみたのだが、どうやらとんだ愚問だったようだ。

「ウチのおやじ、毎日メシ食いに来るんですよ(笑)。ホント、もういいよってくらい」

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写真:朝野浩志 文:志馬唯

タイニー食堂