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REPORT

ローカルの誇りは海を越えて。世界進出を果たした茶農家が、いまも大切にしていること

増田剛巳さん〈やまま満寿多園〉

ほんの数十年前まで
地方の一農家だった茶商が、
いまでは世界中にお茶を発信しているという。

そこにいたるまでには
どんなストーリーがあったのか。
成功できた秘訣はなんなのか。

それを知りたくて訪ねた
〈やまま満寿多園〉が大切にしていたのは、
とても温かみにあふれた、
たったひとつのことだった。

Episodes
1.それでもいつか花ひらく
2.「どんな時代にも、ぜったい必要なんです」

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1.それでもいつか花ひらく

真っ白な壁にかけられたいくつもの時計が、各国の現地時間を示していた。
Honolulu、Los Angeles、Paris、Taipei……そして、Shizuoka。
それらは〈やまま満寿多園〉が世界中とつながっていることを意味すると同時に、いまこの瞬間も、地球のどこかでGreen Tea が飲まれていることを意味する。私たちがふだん口にするのとおなじ、静岡のGreen Teaを。

「わざわざお越しいただいて、ありがとうございます」
先日タイから帰国したばかりだという代表の増田剛巳さんは、ワールドワイドな展開をする企業のトップとは思えないほど丁寧なお辞儀をして出迎えてくれた。「あまり時間が取れなくて申し訳ないですが」そう前置きしてから、この日も社会科見学で近隣小学校の生徒が訪れること、フランスの業者が視察にくることを教えてくれた。挨拶もそこそこに、社長、そろそろお時間ですが……と社員からお呼びがかかる。

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せっかく日本一のお茶の産地なのだから、地元の子どもたちにもっと誇りを感じてほしい。その思いから、お茶摘み体験や工場見学を10数年前から実施し、茶産業のすばらしさを普及しているという。海外からの視察も頻繁で、もはや年中行事に近いそうだ。この日の客人はフランス西部、ロワール河畔の港湾都市ナントから。「ピエールさんです。今日は皆さんと一緒にお茶摘みをします」と紹介されると、集まった子どもたちはそわそわしながらも目を輝かせていた。

増田さんは社会科見学の目的を「食育」だというけれど、こうして幼いうちからささやかながらも国際交流の機会を得られたことは、貴重な体験として彼らの記憶の片隅にきっと残るだろう。田舎町にあるグローバル企業が持つ意味は、ちいさくないのだ。

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20数か国と取引があり、月間20トン強の茶葉を輸出。もちろん日本での評価も高く、一般に向けた販売にも力を入れており、茶葉のラインアップも豊富な上、ティーパックや使いやすい粉末茶などの商品開発も盛ん。2015年には農林水産大臣賞受賞者のなかから部門ごとに1名だけ選ばれる国内最高の栄誉、天皇杯も賜った。いまでこそ順風に見える〈やまま満寿多園〉だが、その道のりが決してスムーズだったわけではない。35年前はどこにでもある地方の茶工場だった。「それまでは茶葉を揉んで、問屋に卸すだけ。でも、自分の手で育てた茶葉なのだから、自分の手で売りたかったんです」。六次産業化という言葉すらなかった時代。家業を継いだ27歳の増田さんは、自社で商品をつくり販売しようと、新たな一歩を踏み出した。茶葉そのものを卸すルートはあっても、自社商品を売るルートなど一切なく、ましてや〈やまま満寿多園〉を知る消費者はひとりもいない。まさに“ゼロからのスタート”だった。

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国内で地道な営業を続けて10年が過ぎたころ、いまにつながる転機が訪れた。取引していた東京の大手海苔問屋から「アメリカにお茶を輸出してみないか」と誘われたのだ。「まだ国内の緑茶の需要が高いころでしたからね。周囲からはけっこう白い目で見られてたんですよ。『気の毒だねえ、満寿多園は国内で売れないから、海外で売るしかないのかい』ってね(笑)」。世界的にはまだ日本茶がそれほどメジャーではなかった時勢。先行きなどわからない。それでもいつか花ひらくはずだと、粘り強く輸出を続けた。増田さんは社員を引き連れ、積極的に現地に足も運んだ。

「やり方はずっと変わりません。ニューヨーク、サンフランシスコ、パリ、ミラノ、フィレンツェ、どこだってそう。現地のディストリビューター(販売代理店)の営業さんと一緒に、大きなリュックを背負って、足が棒になるくらい歩いて、サンプルと名刺を配る。多いときは1日20~30軒。いまだってそうですよ。もちろんその場で売れるわけじゃない。現地の問屋さんにあるから、気に入ったら扱ってくださいって。そういう下積みの繰り返しを、ずーっとやってきたんです」。

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世界各国を足で巡る、果てしのない旅のような日々。ひとつ、またひとつと、階段を一段ずつ上るように、とにかく根気よくつづけた。そのうち徐々に海外でも顧客は増えていき、その結果たどり着いた盛況ぶりは前述の通りだ。

2.「どんな時代にも、ぜったい必要なんです」

茶葉の輸出は、営業努力だけで成立するほど生易しくはない。オーガニック先進国といわれるEU諸国をはじめ、海外では残留農薬の基準値が日本の1/10以下の場合がほとんどで、農薬の種類によっては1/500以下を求められる。その数値をクリアしているというだけで、〈やまま満寿多園〉がどれほどの苦労をしたかは容易に想像がつくだろう。HACCP(ハサップ)やISO 22000の上に位置する、食の安全管理の国際規格「FSSC 22000」をはじめ、海外で認められるに十分な資格を複数取得するなど、安全・衛生面での管理も万全を期している。

「なぜそこまでするかって、ここに茶葉を持ってきてくれる農家さんたちに、すこしでも還元したいんです」。そう語る増田さんは、地元ならではの品種を育てることにも力を注いできた。淹れたときのあざやかなエメラルドグリーンからその名がついた、御前崎の名産茶『つゆひかり』だ。「海外ではビターなお茶は敬遠されがち。これならカラーもキレイで、渋みがすくなくさわやかで飲みやすいと好評なんですよ」。

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2011年の震災の折りには、放射能の風評被害でどこの国にも取り扱ってもらえず、売り上げが半分になり「会社がつぶれるかと思った」。そうなったときも、足と根性で貫いてきた〈やまま満寿多園〉のスタイルは崩さない。買ってもらえずとも、ただひたすら現地へ赴き、安全性を訴え続けた。やがて日本食ブームも追い風となり巻き返しに成功。アメリカでは特に好評で、いま、ロサンゼルスなどではかなりの数の日本食レストランでウチのお茶を使ってもらっているはずだと、増田さんはうれしそうに話してくれた。近年ではつゆひかりを使用した「つゆひかりサイダー」を開発・販売するなど、新しいジャンルにも積極的にチャレンジしている。

「やっぱりね、いくら時代が進んでも、国がちがおうが人種がちがおうが、ビジネスってね、人間と人間なんだよね。たしかにいまの時代はメールや電話で相手の顔を見なくてもビジネスはできます。実際にウチの営業でもふだんはそうしてる。だけどね、最終的にはどっかで会う機会をつくって、相手の顔を見て、信頼関係が生まれて、取引につながったり、ビジネスが継続していく。そうしていくのは、どんな時代が来ても、ぜったいに必要なことだなって。いろんな国をまわってみて、そう強く感じています」

地元の農家、海外の顧客、そして地域の子どもたち。人と人のつながりを大切にしながら、世界に向けて地元のお茶を発信する茶商が、御前崎にはいる。

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写真:朝野耕史 文:志馬唯

やまま満寿多園