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海のある暮らしを楽しむ。Life&Culture Web Magazine

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REPORT

活気ある市場とキンメダイ漁。そこに流れる通奏低音。

南駿河湾漁業協同組合
増義丸 増田信義さん
勝江さん
吉康さん

漁師。
それは、島国に住む私たちにとって
遥か昔から極めてつながりの深い仕事だった。

ゆえに、あまりにメジャー、認識され過ぎていて、
彼らにスポットライトが当たることは多くない。

しかし、物語はどんなところにも潜んでいるもの。

漁師たちはいま、どのように働き、
若者たちはどんな思いで、後継者になろうとするのか。

カツオ、シラス、キンメダイで有名な、御前崎港へ赴いた。

Episodes
1.見えないものを見て、市場が賑わう
2.キンメダイ漁を営む、家族の思い

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1.見えないものを見て、市場が賑わう

「昼からセリ(競売)があるんですよ」
事前にそう聞かされていたので、じゃあ朝は比較的ゆったりしているのか、と勝手に想像していたら、まるっきりちがっていた。一日でおそらくいちばん活気づく、港の花形ともいえるセリ。早朝に行われるイメージが強いそれが昼からとなれば、そう早とちりしても仕方がない。正しくは「昼からも、セリがあるんですよ」。

御前崎港では、季節にもよるが午前7時から午後2時まで、計7回ものセリが毎日行われる。頻繁な理由は、漁法や漁場による帰港時間のちがいと、魚の種類の多さ。
朝いちばんの目玉は、この港の水揚げ量第2位、特産として知られるカツオだ。その1時間後の2回目には、主に定置網漁の魚、サワラ、オオニベ、ブリ、タチウオ、アジ、イワシ、カンパチなどが並ぶ。そして8時半になると、御前崎のナンバーワン、もっとも多い水揚げ量を誇るシラスが登場。以降、シラスのみ1時間半おきに計4回ものセリがある。鮮度が命だからであり、またそれを大切にしているからなのだろう。

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正午を周ったころ。一艘の船がスピードを落とし、沖からゆっくりと港に入ってきた。
「今日はあんまり獲れんかったよ」
船体に“増義丸”と書かれた船の上から、大きな声が響く。御前崎港の漁獲量第3位、キンメダイ漁を生業にする増田信義さんだ。傍らにいるのは、息子の吉康さん。すぐさま波止場で独り帰りを待っていた奥さんの勝江さんが、手際よく軽トラックを船いっぱいに寄せた。増田さん一家のスムーズな連携で、氷に浸かっていたキンメダイが次々と積み込まれていく。

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同じころ、いったん静まりかえっていた市場が、にわかに活気づき始めた。どんどん船が帰港してくる。積み荷はどれもキンメダイ。午後のセリの主役だ。

いましがた揚がったばかりの魚。一時的に生簀で泳いでいた魚。それらが船ごとの箱に仕分けられ、あちこちで計量したキロ数を叫ぶ威勢のいい声が飛び交う。品定めをする仲買人や料理人に混じって、メモを取りながら場内を歩き回る女性たちがいた。そのなかに、勝江さんもいる。

「どこの漁場でどのくらい獲れたか。こうして毎日チェックしているの。それを参考にして、明日はどの辺で漁をすればよさそうか決めるわけ」

見えないものを見る。漁師とは、つまりそういう仕事なのだ。獲物は遥か海の底にいて、データをもとに経験則と勘で勝負を仕掛けるしかない。大漁の日もあれば、不漁の日もある。それでも彼らは日々の当然の役割として、一定の水揚げを保ち続けている。そして今日も、市場は盛況のようだ。たくさんの魚がにわかに濡れたコンクリートの上に並べられ、場内の入り口付近はいかにも職人気質の男たちでにぎわいはじめた。もうすぐ、セリがはじまる。

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2.キンメダイ漁を営む、家族の思い

昼頃に帰港するからといって、キンメダイ漁の朝が遅いわけではない。セリを終えた増田さん一家の自宅にお邪魔した。「午前1時くらいですかね、今朝の出発は。日をまたぐ前に家を出るときもありますよ」と、信義さんがシャワーを浴びている間に、息子の吉康さんが教えてくれた。ふつうの人が眠る深夜に出港し、2時間半ほどかけて40キロ先の漁場まで。彼らは日帰りだが、3、4日かけて東京・八丈島沖まで漁に出る船もあるそうだ。

「でも、おもしろいですよ、この仕事。やればやっただけ返ってくるというか、その場で売るんで、たくさん釣ったらそれがどれだけの価値になったかすぐわかるし。ぼくは20代前半に数年やってから一度、他所で就職したんですけど、会社勤めしながら日曜とかはたまに漁の手伝いもしてたんです。それで、だんだん親父が動けなくなっていくのをそばで見てたら、なんかこう、寂しくなっちゃって……。このまま(漁師の仕事を)潰してしまうのはもったいないなって思ったし、じゃあ、俺もう、やるわ、って伝えて会社を辞めました。親も、継いでくれるのはうれしいって(笑)。それでいま、こうして一緒にやってるんですよ」

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家の隣には漁の道具が収めてあるちいさな倉庫があって、帰ってきたばかりの勝江さんが作業をはじめていた。セリが終わって、まだ1時間も経っていない。「このイカがエサね。あとはたまに引っかかる沖アナゴとかもそう。こうしてさばいて、針を通して、糸を付けて、仕掛けをつくるの。55本から70本でワンセット。ひとつつくるのに1時間弱くらい」。乱獲を防ぐために、漁に持って行けるのは一度に15セットまで。それでも単純計算で13~15時間かかる。出漁するのは年に100日足らずだというが、それでもかなりの作業量だ。「大変かって? うーん……これは昔っから、女の仕事。よその家もそうだら? 男の衆は海に出て、女の衆は陸(おか)で手伝う」。こともなげに、勝江さんはそう言った。

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やがて信義さんがシャワーから戻ってきた。聞けば、父親も漁師だった信義さんはもう半世紀以上、この仕事に携わっているらしい。家の前にはお墓があり、徳川吉宗が将軍だった享保年間から、この場所で代々暮らしてきたという。先祖も漁業と無関係ではなかったのだろう。信義さんが若いころは、遠洋漁業の大型船に乗り、インド洋や南米沖の南太平洋まで行ったそうだ。まだ日本のマグロ・カツオ漁が、世界シェアの大半を占めていた時代。

「大きい船んときは、船長やってたもんでの。もしこれ(漁師)をやってにゃあ、お客を乗せる蒸気船っていうだか、そういう船に乗ってたかもしれん。一応、3000トンまでは船長やれる免許はあるけんの。ほんだもんで辞めるときに、それに進まっか、こっちに進まっか、いろいろ悩んだ末、やっぱり漁師の方が向いてるかなと思って。ま、これしかできんっちゃ、できんだけ(笑)」

独立したのは44歳のとき。いまからちょうど30年前になる。キンメダイを選んだのは、当時は小型船で行くには漁場まで距離があり、やる人がすくなかったからだという。

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「この年齢になると、チカラがなくなっちゃうもんでさ。それでも働く意欲を失くしちゃいかんと思って、舵だけは持ってる。動くのはぜんぶ息子。口ばっか出すもんで、うるさがられる(笑)。でも、(漁師として)帰って来てくれて、助かっとるよ。もう、一人でも任せられるし。それからね、いちばんエライのは、この人(勝江さん)。エサつくる仕事は時間もかかるし、細かいでの。どっちかって言やぁ、海に出るより大変だよ」。親子3人。父がいて母がいて息子がいて、それぞれが自分のやるべきことをただ黙々とやり通し、それぞれがそれぞれに感謝を忘れない。その行動が、思いが、通奏低音のように代々受け継がれ、家業が続いていく。わずかな時間のインタビューだったが、仕事の関係、親子の関係において、この上なくシンプルで大切なことを、改めて教えてもらった気がした。

どこかで御前崎産のキンメダイを口にすることがあったら、こんな親子がいる土地で獲れた魚であることを思い出したい。いや、キンメダイだけではない。きっと食卓に並ぶ魚の数だけ、そこには漁師たちのストーリーが詰まっている。暗い海の底から光の当たる場所へ魚を運んで来てくれる、真摯で眩しい、家族のストーリーが。

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写真:松本幸治 文:志馬唯

南駿河湾漁業協同組合

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