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伝説のヒーロー、ふたりの「いもじいさん」の活躍を知っていますか?

天然の甘~い味わいと食感が、
たくさんの人に愛されている御前崎の「いも切干」。
この和スイーツのルーツをたどると、
そこには「いもじいさん」と呼ばれたふたりのヒーローの存在がありました。

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“いも切干”発祥の地であり、いまも盛んに生産されている御前崎。なぜ、鹿児島の特産品であったはずの“サツマイモ”をつかったスイーツが、この地に生まれたのか。その背景には、ある立役者の存在がありました。

時は、江戸も後期に差しかかろうかという、明和3年(1766年)。まだこの一帯が遠江国(とおとうみのくに)と呼ばれていたころ。御前崎沖で一艘の船が座礁してしまいました。それを発見したのが、二ツ家(※地名)の組頭、大澤権右衛門(おおさわごんえもん)という人物。後に「いもじいさん」の愛称で語り継がれることになるヒーローです。

権右衛門は24名の船員を助けた上に、衣類や食料を分け与え、手厚く介抱しました。彼に救われたこの難破船「豊徳丸(とよとくまる)」は、何を隠そう、江戸へ向かう途中だった薩摩藩の御用船。権右衛門は感謝のしるしにと金20両を差し出されるも、「難破船を助けるのは村の習わし」と言って断り、代わりにサツマイモとその栽培方法を教えてもらったそう。古きよき日本人の“清貧”を感じさせる、誇り高いストーリーですね。やがてサツマイモは、御前崎だけでなく、遠州地方全域で広く生産されるようになりました。

目先の利益ではなく、後世に残る財産を残してくれた「いもじいさん」の功績は大きく、村人たちは権右衛門の百年忌に当たる明治11年(1878)、海福寺に「宝篋印塔(供養塔)」を、明治41年(1908)にサツマイモ伝来の経緯を記した「いもじいさんの碑」を建て、いまも大切に祀られています。

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さて、いもじいさんが薩摩藩の船を救ってからおよそ60年後、今度は白羽村の栗林庄蔵という人物が、サツマイモを釜でゆで、うすく切り、セイロに並べて干す“煮切り干し”を考案。「サツマイモに熱を加えて干すと、より甘くなってウマい!」。この考えが、いまの“いも切干”の原型となっています。その後は、この地方で冬季に吹く西風「遠州のからっ風」がいも切干づくりに適していることもあり、冬の保存食や子どものおやつとして北海道や東北地方にも出荷されるように。農家たちの暮らしを大いに支えるきっかけをつくった庄蔵は、「いも切干じいさん」と呼ばれ語り継がれています。何でも、戦時中の食糧難を乗り切れたのも、サツマイモの恩恵が大きかったとか。

人の命を救ったことがきっかけで、今度は自分たちの命が救われて、さらに全国の人々の豊かさにつながっていく。こんなにすばらしいドラマが、“いも切干”には隠されていたのですね。この冬の風物詩を片手にこたつでホッと一息つくとき、ちょっと「いもじいさん」のことを思い出し、感謝すると、よりおいしく味わえるかもしれませんね。

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UMICO編集部
2018年10月