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Sea Life Story's vol.26

世界を旅してたどりついた、海のまちの暮らしで見えたもの。

ペンション「The Green Room INN」
田中善通さん
世界を旅してたどりついた、海のまちの暮らしで見えたもの。

ずっと旅をしていたら、
旅人を受け入れる側になったという。
それも、故郷から遠くはなれたまちで。

いま、海辺でペンションを営む彼は、
雑誌編集者の経験もある。
ならば、人よりいろんな土地や文化に
触れてきたはずだ。

移住先にこのまちを選んだ理由は?
そして、また旅人に戻ろうとは思わない?

彼の答えは、想像よりもずっと
ハートフルなものだった。

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ちいさなまちだけど、
よっぽど都会より多様性がある

パリから電車で4時間。
スペインの国境へあと数十キロまで迫ったフランス南西部に、ビアリッツという美しい海辺のまちがある。
人口はわずか2万5千人だが、バカンススポットとして特にサーフィンが有名で、夏のシーズンともなれば国内はもとより、欧州全土から旅客が訪れるらしい。世界的大会が開かれるホセゴーという有名なサーフスポットも近く、もとをたどれば貴族のリゾート地だったのが影響しているのか、グルメもなかなかのものだそうで、ビーチサイドに軒を連ねる手頃なカフェから、本場ミシュランに名を連ねるレストランまでちらほら。美眺と美食とマリンアクティビティには事欠かない、というわけだ。

「なんとなく御前崎に似てるんですよね。人の数、まちの規模もそうだし。海に沈むキレイな夕陽とかの、雰囲気も」

サーフィン雑誌の編集者時代、ともに働いていた友人(フランス人)のツテで、ビアリッツ近郊にしばらく滞在していた経験のある田中善通さんは、そう懐かしんだ。

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「これまでいろんなところに行きました。都内の出版社でしたが、取材は国内の大会がメインだったので、中部もよく来ましたし、東北や九州も。プライベートはもっぱら海外で、ヨーロッパの大西洋側や、ニュージーランド、オーストラリア、インドネシア……」

そして故郷は千葉県だという田中さんが、終の棲家として選んだのは御前崎市。「仕事も住むところも、海を基準に考えてきた」というほどだから、移住の理由の一つがサーフィンであることはまちがいないけれど、それだけならもっとほかに、いい土地がありそうな気がしなくもない。なぜ御前崎に?

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「古くからの友人が移住したのをきっかけに、頻繁に遊びに来るようになって。どこに惹かれたかって、ビーチの夕景は抜群によかったけれど、それだけなら他所でもいいし………やっぱり決め手は、人のよさかもしれないですね。地域の子どもをみんなで面倒見てるような雰囲気とか、野菜をお隣さんがくれたりする話とか、よく耳にする田舎のよさみたいなものに加えて、このまちには寛容さがある気がします。ちいさいまちの割に移住者が多く、なかには外国の人もいるし、保育園に行けばハーフの子もいる。そういう“人を受け入れる文化”みたいなものが、たぶん昔から根付いているんじゃないのかな。職業にしても、農家がいて、漁師がいて、工場もあるし、まちなかで働く人もいる。これが首都圏だとほぼ会社員。都会よりよっぽど多様性があるんですよね。そんなまちを形成する要素を含めて、ああ、すげぇいいなって―」

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神聖な場所とはどこにあるのか。
その答えを垣間見た気がした、彼らの暮らし

雑誌編集者を辞めた後に、全国に拠点のある企業で勤めはじめた田中さんは、静岡市内にある支社への転勤を希望。週末に御前崎へ通う生活を始めた。そして友人の紹介で中古の一軒家を購入し、移住するべく自前でコツコツとリノベーションをはじめる。そのころ彼は、近隣でちょっとした有名人だったらしいのだが、そのエピソードがなんとも田舎らしく、ユーモラスだった。

「やりはじめは壁もなく、ずーっと一人で大工仕事してました。それが道路から見えるわけですよ。クルマで通り過ぎる人たちが、アイツここで何してるんだ?って、やたら見ている(笑)。ウチの周りにはほとんど建物もないから、目立つんですよね。それでご飯食べに行ったりサーフィンしに行って、友人に紹介された人に挨拶すると『ああ、あそこの……』みたいな(笑)。そこから『だいぶ完成してきたね』とか、声をかけてもらえるようになって、つながりができて……。都会じゃおなじことをしても、こうはなりませんよね」

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そうして地域の人たちに見守られながら完成したのが、海辺にたたずむペンション〈The Green Room INN〉だ。4部屋ある宿泊スペースと共有のダイニングスペースは本職の大工にお願いしたらしいが、居住部分の大半は田中さんがDIYしたもの。和室には琉球畳、ベッドルームには暖色の間接照明がしつらえてあり、何より清潔感のあるインテリアでまとめられているので、ゆったりと過ごせそう。ウッドデッキでBBQできるあたりが、またイイ。

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平日は仕事に出る田中さんに変わり、ペンションは奥さんが切り盛りしているという。旅行客は単に観光で訪れる人もいれば、サーファーや釣り人もいて、移住してから専用のブログを起ち上げるほど釣りにハマった田中さんも、よく宿泊客と一緒に海へ出かけるらしい。この規模のペンションならではの、無料のツアーガイドといったところか。お客さんからすれば地元の海事情に詳しい人に引率してもらえるのだから、こういうご時世 ― 感染症の流行っている2021年現在 ― でもなければ、きっとリピーターであふれかえっているのだろう。

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「ここで暮らしはじめてから、すべてにおいて“ムリヤリ”がなくなったんですよ。都会にいたころは、ムリヤリ時間つくって、ムリヤリ遊んで、人づきあいだってムリしていた節がある。でもいまなら、サーフィンも釣りも、朝の出勤前の散歩感覚でできています。そしてそれはこのまちでは特別なことじゃなくて、同じような人がたくさんいる。そうすると、じゃあもう土日は海に入らなくていいや、ほかのことに時間つかおうって余裕が出てくるんです。だから家にいて、家族とふれあう時間が本当に長くなりました。何時間もかけて海に行ったり、渋滞に巻き込まれたりすることもない。いま都会に住んだら、1ヶ月で死んじゃいますね(笑)」

そう語る田中さんは、御前崎に移住して以来4年間、あれほど好きだった海外へ1度も行っていない。忙しかったせいもあるというが、本質は別のところにあるようだ。

「旅をする必要がなくなったのかもしれないですね。そりゃあ遠くへ行きたいなと思うこともあるけれど、いまは家にいることが心地いい。旅先に求めていたことの多くは、このまちの暮らしのなかにありますから」

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「GREEN ROOM」という言葉はサーフィン用語で、巨大な波のなかにできるトンネル状の空間のことを指すが、“神聖な場所、特別な場所”という意味もある。世界中を旅し、最後にたどり着いた御前崎でつくった家に、田中さんがどういう思いでその名をつけたのかはわからない。ともあれ、インタビュー中、ダイニングスペースでこのまちの話しをする彼の声は、終始弾んでいた。そしてその間ずっと、子どもたちもうれしそうにはしゃいで、家の中を走り回っていた。その微笑ましい光景が、きっとずっと自由を求めてきた先に築き上げられたものだと思うと、なんだか見ていて、とても眩しかった。

彼は今冬、イチゴ農家になる決意をしたらしい。〈The Green Room INN〉でおいしいイチゴが食べられる日も、そう遠くはないだろう。

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写真:朝野耕史 編集・文:志馬唯