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Sea Life Story's vol.33

ソウルフードになった、海のまちの名物ジェラートの話

イタリアン・ジェラート〈マーレ〉店主
岡村 歩美さん
ソウルフードになった、海のまちの名物ジェラートの話

旅先で、
ソウルフードと呼ばれる食べ物を口にすると、
おなかを満たすというより、
どこか心を満たしてくれるような
豊かな味がするのは、
きっと気のせいではない。

その土地の人たちに長く愛された食べ物は
味そのもの以上の、温かい何かが宿るのだろう。

今回は、海のまちで、
四半世紀も続く、ジェラート屋さんのお話。

とある老夫婦が、最後のドライブに出かけた。
それはやがて誰にも訪れるであろう、ありふれた日常の先にある、特別な日。ふたりは70歳を過ぎ、免許を返納することにしていた。

愛車のドアを開け、乗り慣れたシートに座り、いつもと変わらない景色がゆっくりと動き出す。水入らずの車内は、これっきりになるだろう。どこへ行くかは話し合って決めている。住んでいる浜松市から、海沿いを走る150号線を東へ。慣れ親しんだ、1時間半ほどのショートトリップ。

「それで最後にジェラートを買いに寄ってくれたんですよ。たまにいらっしゃる常連さんだったんですけど。ホントにもう、泣きそうでした(笑)」

そう話すのは、御前崎にある〈イタリアン・ジェラート「マーレ」〉の店主であり、今回の物語の主人公である岡村歩美さん。この地で店を構えて、25年目になる。常連客だった老夫婦のエピソードからも伝わってくるが、マーレはつまり、そういう温かさのある店だ。観光客はもとより、地元の人たちにこよなく愛されてきた。

もともと岡村さんは、市内で事務職に就いていた。実家は金物屋で、少女だった頃はレジが楽しくてよく店番をしていたという。お客さんは顔なじみばかり。ルーツとしては、今の仕事に通じていなくもないけれど、OLからジェラート屋は飛躍している気がする。アイスづくりが趣味だったとか?

「いえ、そういうわけじゃないんです。私も店を出すなんて、想像もしていませんでした。気づいたら、こうなっていただけで……」

きっかけは、〈マーレ〉のある御前崎の観光施設〈なぶら市場〉のグランドオープン。地元の海産物と飲食店が立ち並ぶ複合施設の開業は、1万数千人規模のまち(旧御前崎町)にとって、平成初頭の一大事業だった。ずっと地元で商いをしていた岡村さんの父親もテナント出店を希望したが、当初考えていたのは土産物屋だったという。

「そしたら商工会の方とかが、土産物屋より、隣のまちでジェラート店が流行っているから、そっちの方がいいかもしれないと勧めてくれたみたいで。でも、父や母はお店もあるしできないので、お前やってみないか、と。もうね、ハメられました(笑)。しかも私、初めての子を妊娠していたんですよ。信じられませんよね~、ホントに」

遠州弁の穏やかな口調で自らの過去を振り返ってくれたが、相当に苦労されたのは明らか。それから話はとんとん拍子で進み、岡村さんは隣まちの(と言っても30km以上離れた)ジェラート屋で、4か月ほど修行することに。11月に子どもが産まれ、翌(1997)年の4月、〈なぶら市場〉とともに〈マーレ〉がオープンした。商品開発に店舗設計や機器の配置、スタッフ確保といった開店準備。それらを出産前後の大変な時期にこなしたのだから「当時の細かいことは全く覚えてません」と笑うのも無理はない。

海のまちに突如オープンしたジェラテリア(ジェラート専門店)が、長年にわたって愛されてきた理由のひとつに、地元の特産物を上手くアレンジしたラインナップがある。名物は「しらすジェラート」。御前崎港で水揚げされた、新鮮でやわらかなしらすの食感と潮の香り、さわやかな塩味と、サッパリ目に仕立てたジェラートの甘みが織りなす味わい深さでファンを虜にし、いろんなメディアでも取り上げられてきた一品だ。〈なぶら市場〉のしらす屋さんから仕入れていると聞き、仕入れの様子を見学させてもらった。

「しらすにも種類がいくつかあって、ウチではやわらかめに干した“若干し”のしらすと、しっかりめに干した“中干し”のちりめんを2種類ブレンドさせています。天然のモノなので、時期によって大きさや硬さに多少の違いがありますから、ちょっとずつ調整しながらやってるんです」

会話をしているときの岡村さんは、ほがらかでハツラツとした親しみやすい主婦の印象だが、しらすを口にして頷く姿だけは、職人のそれだった。25年繰り返されてきた、プロフェッショナルの所作。しらすジェラートはオープンする前に、ひとつは名物をつくりたい、という思いからチャレンジし、家族や友人に味見をしてもらいながら試行錯誤して、今の味が完成したそうだ。ショーケースにはしらすのほかにも、地元の茶匠・満寿多園から仕入れる銘茶「つゆひかり」をつかったジェラートをはじめ、常時10数種類の人気商品が並ぶ。

「この仕事を始めてから、本当にいろんな出会いがありました。バイトしてた高校生がお母さんになってたりすると、もう親の気分ですよね。娘も店と同い年なので、25歳。今では店を手伝ってくれてます。毎月、中には毎週来てくださる方もいて、顔を見なくなると『大丈夫かな、何かあったかな』って心配になったり。本当にたくさんの人に支えられて、これまでやってこれたって感じています」

2021年、〈マーレ〉のしらす、煎茶、つゆひかり新茶の3種類のジェラートが、“地域の豊かな自然、独自の資源および伝統的な加工技術などを活かした商品”に認定される「御前崎ブランド」として認められた。しかし冠が付く前から、〈マーレ〉の味は立派なソウルフードとして、地元の人たちに認められている。取材中も、何組かの家族連れや、ご近所さんであろうご年配の方々が訪れ、笑顔でジェラートを手に帰っていった。その何気ない光景を四半世紀も続けてきたのだと思うと、頭が下がる思いだった。

ちょっとしたドライブがてらでもいい。御前崎を訪れることがあったら、ぜひこのソウルフードを味わってみてほしい。きっと、思い出の味になると思う。冒頭の老夫婦も見たであろう、綺麗な海の景色とともに。

写真:朝野耕史 文:志馬唯