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Sea Life Story's vol.32

海を越えてドクターになった、島人(しまんちゅ)の物語

おまえざき痛みのクリニック 院長
松井 弦一郎さん
海を越えてドクターになった、島人(しまんちゅ)の物語

「ペインクリニック」という医療分野がある。

腰痛、肩こり、神経痛、
がんなどの病気由来の痛み、
精神的なものからくる、身体の痛み……。

あらゆる“痛み”を取り除く、
または和らげることに特化した診療科だ。

故郷とはおよそ関係のないまちで
その分野の開業医として暮らしている
ドクターがいると聞き、彼のもとを訪ねた。

1.生まれた土地を遠く離れて

はるか南の島からその人はやってきた。
サーフィン好きで、医者。ペインクリニックという“痛み”に特化した医療を専門にしている。

「今は朝だけですね、サーフィンをするのは。仕事の前。それだけが、海の時間です」。

はきはきとしていて、よく通るけど決して大きすぎない声。その喋り方は、大切な事を相手にきちんと伝えなければならない職業柄身についたものなのか、天性のものなのかはわからないが、きっといいお医者さんなんだろうな、と素直に思わせてくれる、説得力のようなものがあった。力強くて、頼れるような安心感。〈おまえざき痛みのクリニック〉の院長・松井 弦一郎さんは、初対面の人にそんな印象を抱かせてくれる。

「僕はただの趣味というより、サーフィンをやるからには試合に出たいんですよ。だからパフォーマンスを維持していたい」

話し方のニュアンスから、彼が海を、サーフィンをこよなく愛しているのと、それを長年欠かさず続けてきたキャリアを誇らしく思っているのが、なんとなく伝わってきた。

確かに御前崎は国内有数のサーフスポットではある。だけどそれだけの理由で、はるばる奄美大島から移住して、ましてや開業医として地域に根差して生きていけるものだろうか。御前崎へは、どうして?

「ちょっと特殊な環境なんですけど、僕、中2のときに事故で両親を亡くしているんです。それで、年の離れた兄が当時働いていた静岡市に引き取られて。そこで残りの中学時代を過ごしました」

気軽に質問してしまったこちらを気遣い、言葉を選びながら松井さんは過去を話してくれた。それが静岡とつながりを持った最初の出来事だが、そのまま定住したわけではないという。「本当は奄美に居たかった」そうで、島で唯一の高校を受験し合格。わずか1年と数か月で地元へと戻り、下宿しながら3年間を過ごした。しかし結局、すぐに静岡に戻ってくることになる。

「高校でサーフィンをやりはじめて。医学は志していたんですけど、海のあるまちじゃなきゃイヤで(笑)。国公立で、推薦枠があって、海の近い医大を探したら、当時は浜松医大しかなかったんです。それで受かったので、また戻って来ることになって。なんか縁があったんでしょうね(笑)。静岡に」

そして、大学時代に海で出逢ったパートナーの実家が御前崎だった。「嫁さんは二人姉妹で、僕には兄貴がいるでしょ。で、彼女の両親、今の僕にとっての親父とおふくろが、すごくいい人だったんで、じゃあ僕が家に入るよって」。そんな風に、松井さんは婿養子になった経緯をさらりと語ってくれた。行雲流水。飄々としているが、情に厚い人なのだなと思った。

2.仕事について。このまちについて。

〈おまえざき痛みのクリニック〉の外観は、ウェディング・プランナーでも中で待っていそうな、ギリシャ神殿を彷彿とさせる造りだ。看板がなければ診療所だなんて気づかないだろう。白を基調としたロビーの天井は高く解放感があり、アンティーク調のシェードランプやチェアが整然と並べられている。そこに腰かけると、広くとった窓のおかげで、光に包まれたような心地になった。壁にはクロード・モネの名画「睡蓮」。当然それはレプリカなのだけれど、油彩で描かれた複製画のプロによる精巧な出来栄えで、待ち時間をリラックスして過ごすには十分すぎるクオリティだった。

建物やインテリアのところどころから、歓待の心―という表現は、痛みを抱えた人々の来る場所には不適切かもしれないが、ともかくその痛みをちょっとでも和らげようとする姿勢―が感じられる。

ここで松井さんの仕事である、「ペインクリニック」とは何であるか、少し触れておきたい。皮膚科が皮膚の病を専門とするように、眼科が目の疾患を専門とするように、“あらゆる痛み”の治療を専門とする医療分野だ。“あらゆる”と書いたが、頭痛、腰痛、肩こり、大病の術後の痛みや、がんの痛みまで、その範囲はかなり広い。耳慣れない診療科目だが、日本では1962年に東京医大にペインクリニック科が設立されたのを皮切りに、半世紀以上も研究が進められてきた分野である。

「僕らは外科医じゃないから、手術はできません。だからいかに手術をしないで痛みを取り除き『よかったね』と言える状態まで持っていけるか。そういうことをやっているんです。だから何でもやります。西洋の薬も使うし、漢方も扱う。神経ブロックもやるし、運動療法も取り入れています」

他の診療科で改善しなかった原因不明の痛みと向き合うのも茶飯事だという。「最後の砦だと思って来られる方も多いです」。そのプレッシャーたるや、生半可なものではないだろう。1日の来院数は100人を超えることもあるらしい。その多忙な状況を「開業医にならなければ、もっと自分のペースで診療できていたんでしょうね」と笑う。そのバイタリティは、どこから来ているのだろうか。

「やっぱり、口コミですかね。治療して、直接お礼を言ってくれる方もいますけど、そうじゃなくても、〇〇さんの紹介で来ましたと言われれば、ああ、あの人、言葉にはしなくても評価してくれたんだなってわかる。やっぱり(そうやって患者さんが評価してくれることは)嬉しいんですよ。どうしても手に負えないって場合もありますが、それでも“痛みの少ない社会”にちょっとでも貢献したい。そういう大義名分もあります(笑)」

生まれたまちを遠く離れて、運命に導かれるように―もちろん、ここに至るまでには相応の努力があったわけだが―この御前崎にやってきた松井さん。最後に、まちの住み心地について尋ねてみた。

「なんかね、ノリが似てるんですよ。奄美の人と。あっちはほら、『島時間』なんて言葉があるくらい、のんびりしていて、ぜんぜん時間守らない(笑)。そこまではいかないけど、御前崎の人も、ゆったりしている感じがイイですよね。他所から来た人に対してすごくウェルカムな感じもよかった。僕が住みはじめた頃も、知らない人なのに祭りに誘ってもらったり。あと、暮らしと海が近いところも、島に似てるのかなぁ」

他所から人の集まってくる海のあるまちは、実は海が人を惹き付けているのではなく、それ以上に、そのまちの持つ魅力的な“何か”が、人を惹き付けているのではないだろうか。松井さんの言葉は、とかくサーフィンが注目されがちな御前崎の印象を、またちょっといい方向に変えてくれた。

写真:浅野耕史 編集・文:志馬唯