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Sea Life Story's vol.24

思いはつながり、やがて花になる。ウッドバーニング作家の日常とこれから。

ハワイアンペイントKAN
木下 智美さん
思いはつながり、やがて花になる。ウッドバーニング作家の日常とこれから。

ハワイ文化のひとつである
“フラワー・レイ”をモチーフに、
ウッドバーニングという手法で
作品をつくり続ける作家がいる。

海を愛し、海のまちへ移住し、
そこで母親となり、作家となり、
花を描き続ける彼女。

そのバックグラウンドが知りたくて、
御前崎のちいさな工房を訪ねた。

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OLから作家へ。
ゆるやかにつながった運命

「せまいところで、すみません」
明るく、よく通る声でそう案内された工房は、自宅のウッドデッキを跨いだ先の、奥まった場所にあった。入口には「友人に引き取ってくれと頼まれて」引き取ってきたという、1メートルほどの木彫りのティキ(ポリネシア神話に由来する神)の像が、どーんと鎮座している。木の床、木の壁、木の天井。壁にはウッドフレームに額装された、フラワー・レイ(花輪)がモチーフの作品が並び、窓の外では、裏庭の樹々のグリーンのなかに、ぽつぽつと咲く野花があざやかなコントラストを織りなしている。

「ここから見えるアサガオ、12月ごろまでずーっと咲いてるんですよ」

木と花ばかりで彩られたこの仕事場は、彼女のきわめてプライベートな空間でありながら、公のオフィス的な役割も持つ。その両面性、きっちりとした線引きのないあいまいさとゆるい雰囲気が、なんだかハワイアンっぽくていい。

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「なんかいろんなものがつながってきて、気づいたら、こうなっていた、という感じですね」

木に焼き跡をつけて絵を描く「ウッドバーニング」の作家にいかにしてなったのか尋ねると、木下智美さんはそう言った。作家の扉をひらく鍵のカケラは、子どものころからあちこちに転がっていたという。絵を描いていた祖父。大工だった父。幼いころによく遊んだ、父の仕事場。木の香りが好きで、父が好きで、モノづくりへの憧れを募らせるには十分な環境だった。大人になると、大手ファッションビルを経営する会社に就職した。ディスプレイやショーウィンドウを自分の手でつくる仕事は楽しかったが、父とおなじ職業を選び一緒に働いている兄を羨ましく思うこともあった。

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運命の歯車が動きだしたのは、20年ほど前。結婚を機に退職し、故郷である静岡市を離れ、毎週マリンスポーツをしに通っていた御前崎で暮らしはじめたころ。都会の生活で心のスペースを占領していた大きな何かが消え去り、ぽっかりと余白ができた。時間はある。せっかくだから、やりたいことをやろう。だったら絵だ。昔からやりたかった。そうして家具や布に装飾するトールペインティングを習いはじめたが、楽しくないとまではいかないものの、なにかがちがう。

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「そんなとき、ウッドバーニングと出逢ったんです」

木に描くアート。これだ、と直感したという。祖父の血。父の背中。懐かしい仕事場の香り。装飾するという意味では、ディスプレイの経験も大いに役に立った。人が見ていて気持ちがいいものをつくる。木下さんのなかの点と点が線になり、見学にいったその日にウッドバーニング協会に入会。勉強を重ね、講師の資格を取った。「これなら木をつかうから、きっとお父さんと一緒に何かができるって、すっごくうれしくなりました」。

そうして彼女はウッドバーニング作家となり、作品を飾るウッドフレームは、すべて父がつくってくれるようになった。そしてその関係は、父が大工を引退したいまでも、ずっと続いているという。

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今後の目標は?
「もっと楽しもうと思います(笑)」

ウッドバーニング講師の資格を取得すると、木下さんは〈ハワイアンペイント・KAN〉の屋号で活動をはじめた。

「父の仕事道具である鉋(かんな)から取って、娘の名前もカンナにしたんです。だから屋号もKAN(環)。すべてがつながるって意味です」

そしてモチーフがフラワー・レイというのも、つながった点と点の延長線上、やりたいことをやろうという彼女のスタイルが表出したものだ。

「静岡市に、ハワイアンがテーマの結婚式場があって、そこのウェルカムボードなどをつくる仕事を、友人が引っ張ってきてくれたんです。以前からハワイには通っていたので、すごくフィーリングが合って、もうこれだけ描いていられればいいなぁって。それまではいろんなモチーフを描いていましたけど、そもそもウッドバーニングって、色を付けることのほうがすくなくて。線画に近いというか。私はもっと華やかにしたかったので、ハワイと花っていうのがしっくりきたんですね。アクリルの染料とかで色付けするようになりました。もうレイしか描かなくなって、10年ぐらい経ちます」

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もともとレイは、ハワイアンカルチャーに深く根付いており、さまざまな意味を持つ。ライトなものでは、ホテルや空港などで観光客に配られる、歓迎、歓待。結婚式で花嫁に捧げる祝福。日常のプレゼントとしての感謝や愛情表現。編む花によって意味が異なるだけでなく、素材も花に限らず、貝殻をつかったシェルレイ、鳥の羽で編んだフェザーレイ、マイレという葉だけでつくったマイレレイなど。多様なタイプが存在している。また、その起源は古く、神事や魔除けにはじまり、神にささげるフラを踊るときには、その島特有の花で編まれたレイが用いられたりしてきたそうだ。「だから作品をつくるときは、インスピレーションでつくるというよりも、そこに意味を込めるんです。たとえばいまは産婦人科の看板のオーダーをもらっているんですけど、命がつながっていく感じとかを、花や色でちゃんと表現するようにしています」。

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作家になってからの木下さんは多忙だった。自身で商品をつくり、ネット販売をはじめ、提携している結婚式場からは依頼が立て込み、作品をつくっては美術館などに出展し、個展を開き、イベントに参加し……。振り返るヒマもないくらい、慌ただしく日々が過ぎていった。

「それが今年のコロナで、そう……本当はのんびりしたくて御前崎に来たのに、田舎にいるのにずーっと忙しかったし、出稼ぎのように駆けずり回って。やっぱり商品をつくると、それを卸して、売って、セールにかけてとか、一連の流れがあって。これがやりたいことじゃないのにな、なんて思いながら、あっという間に日々が過ぎていきました。有名になりたいというのが先行していたんでしょうね。そういう流れに乗っちゃった。でも、今回、立ち止まってみてはじめて、そういうのはぜんぶどうでもいいやというか、大事なものはそこじゃなかったなって気づけた。ゆっくり時間をかけて描くことだったり、じっくり作品と向き合ったり、ここで暮らしているからこそできること、ここにいる意味をちゃんと見出そうと、あらためて思えたんです」

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海が好きで移り住んだ御前崎。OLから作家へと転身し、傍からはスローライフを満喫しているように映るが、意外にも彼女自身は、そうとらえていなかったようだ。これからはとことん、このまちの暮らしを楽しみたいと語ってくれた。

「御前崎とハワイって、なんか似てるんですよね。海とか環境っていうよりは、時間の使い方とか、価値観とか、根本的なものが似てる。家族や人を大事にするというか、家族じゃないけど家族っていうか。物々交換が本当にあるし、雨が降ったら、自分の家の洗濯物がお隣さんの家に取り込まれてキレイに畳まれていたり(笑)、子どもが泣いていれば飛んで来てあやしてくれたり。最初はその距離感に戸惑ったこともありましたけど、こっちが心を開いてしまえば、こんなに暮らしやすいまちはない。絵の仕事だって、ホントにぜんぶ御前崎の友人がつなげてくれて、ここまでこれた。ここ以外は住めないなって思うし、ここじゃなければいまの自分はないだろうなって思います。だからこれからはもっと、このまちでの暮らしを楽しもうと思います(笑)」

まだ少女だったころから、いつもおなじ空間に、当たり前のようにあった木材。憧れていたモノづくり。大好きな海とハワイと御前崎。そこで暮らす家族や友人たち。そのすべてが流れるようにつながって、いまの木下さんがいる。そして、これまでよりもっとゆるやかに、もっとのんびりと暮らしていこうとする彼女の作品が、これからどんな風に変化していくのか、楽しみで仕方がない。

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写真:朝野耕史 編集・文:志馬唯