海のある暮らしを楽しむ。Life&Culture Web Magazine
御前崎市シティプロモーションサイト
Instagram
Sea Life Story's vol.12

明日へ響け! 女性たちが海のあるまちにつくる伝統

なぶら御前太鼓保存会(なぶらごぜんだいこほぞんかい)
明日へ響け! 女性たちが海のあるまちにつくる伝統

約25年前、御前崎に“女性だけ”の太鼓チームが結成された。

まちおこしを目的にスタートしたが、
当時は、演奏者の人数分の太鼓すら
ろくに用意できず、周辺地域から太鼓を借りて
懸命に曲目をおぼえた彼女たち。

それがいまでは、
市内外イベントの“華”として活躍するだけでなく、
子どもたちに技術を継承しているという。

「伝統とは、こうしてはじまるのではないか」。
そんな思いを胸に、彼女らが練習している御前崎市文化会館を訪ねた。

_ASA5402

_ASA5640

_ASA5320

ホールの中央に位置するステージに、10~15張り(台)の太鼓が3列にならんでいる。その前でスタンバイするのは、小学4、5年生くらいから高校生までの少年少女たち。伏し目がちに集中する子、となり同士で談笑している子、腕を上げ下げ曲の流れをチェックする子。

「はい、じゃあ、やるよ!」

先生、と子どもたちに呼ばれていた女性の掛け声で、いっせいに静かになった。これから2時間ほど、彼らは観客のいないステージの上で、太鼓を鳴らし続ける。時計の針は、19:00を周ったところ。―お腹は空かないのだろうか―とそのとき不謹慎ながらも、育ち盛りであるはずの彼らを見て単純な疑問が浮かんだが、けっきょく誰ひとりそんな素振りは最後まで見せなかった。太鼓の周りにあるのはいつも、楽しそうな表情か、真剣なまなざし。ときおり年少者はできないくやしさで泣いたりするらしい。その振る舞いからだけでも、彼らが太鼓とどう向き合っているのか、なんとなく伝わってくる。

_ASA5336

「はじめは商工会の女性部だけで、何かまちおこしができないかと思って。それで当時、たまたま市内に太鼓の作曲や指導をしている先生が住んでいらっしゃったので、その方にお願いしようと。そのころは40人ぐらいいたんですけど、いま、スタートからのメンバーで残っているのは5人。もう、みんな齢だもんでね(笑)」

初期メンバーのひとり、増田美恵子さんが25年前のルーツを語ると、

「駆け出しのころは、みんなホントに下手でねぇ(笑)。いま思うと恥ずかしいけど、当人たちは一生懸命。祭りやイベントで叩かせてもらいましたけど、どちらかというと女性ばかりだってことで、客寄せパンダみたいな扱いでしたね。でも指導を重ねてもらううちにすこしずつ自信をつけて、まとまりが出てきたんです」

おなじく初期メンバーの増田佐知子さんが、昔を懐かしむ。
「あ、私たち、兄弟とか親戚じゃないですよ。名字はおなじですけど(笑)」と美恵子さん。ユーモアのある人たちだ。

_ASA5422

旧御前崎町の時代に発足した女性だけの「なぶら太鼓」の会は、平成14年に〈なぶら御前太鼓保存会〉となり、平成16年の市町村合併を機に、活動の場を広げていった。保存会、と命名したのは、ある思いがあったからだ。「実は私たちがはじめる以前にも、男性だけでやる『御前太鼓の会』みたいなのがあったんです。でも彼らは、徐々に人数が減って、そのままフェードアウトしてしまって……。『私たちはそうならないよう、しっかり子どもたちにバトンを渡そう』。そういう思いでこれまでやってきました」

指導される立場から、指導する立場へ。保存会になってから、月に2回、培った技術や太鼓の楽しさを、次の世代に伝える活動をずっと続けてきた(彼女たち自身は、週に2回も練習をする)。小学生だった子が高校を卒業し、また新しい子が入ってくる。16年の歳月のなかで、多くの子どもたちが巣立っていったのだろう。

保存会の名でもある“なぶら”とは、魚の群れのこと。漁師町ならではのネーミングだ。演奏する曲も「なぶら祝い太鼓」や「遠州灘」など、海にまつわるものが多い

保存会の名でもある“なぶら”とは、魚の群れのこと。漁師町ならではのネーミングだ。演奏する曲も「なぶら祝い太鼓」や「遠州灘」など、海にまつわるものが多い

_ASA5310

「受験で勉強に専念しないといけない時期が来たり、高校を卒業して地元を離れる子がいたり。子どもらは入れ替わりますけど、私たちだけがずっとやってる(笑)。でもこうして世代を超えたふれあいというか、年齢の垣根なくみんなで何かやろうとする動きが最近はどんどん減っているし、子どもたちもゆとり世代以降、わりと礼節とかを教わらず、そこまで厳しくされずに育っているので、こう、私たちがね、節度のある子に育てないとな、なんて親心が芽生えたりとかね」

ステージでは太鼓の練習が続いている。締め太鼓の軽快なハイトーンが一定のリズムを保ちながら、中太鼓、大太鼓の力強く豪快な音がそれに合わせて躍動する。腰を深く落とした姿勢から、腕を天高く振り上げた格好から、弓なりに反らした身体から、さまざまな状態からバチが鼓面へと打ち下ろされる。右、左、右、左、右、左……間断なく両腕がスライドし、やがて大きなハーモニーとなって、子どもたちはひとつの曲を完成させていく。

_ASA5737

_ASA5886

_ASA5354

「あの、真剣な顔がカッコいいんだよね。私たちはプロではないけど、一生懸命にはなれる。その演奏を年に10回くらい、お祭りやイベントでたくさんの人に聞いてもらえる。子どもたちもね、変わるんですよ。学校ではちょっとおとなしい子が、ここの仲間とはだんだん仲良くなって、積極的に話すようになったりとか。演奏してお客さんに「よかったよ」なんて褒められたりすると、うれしいし、生活の張り合いにもなるし」

練習が終わったあとは、それぞれが親の迎えを待ちながら、ワイワイ楽しそうに話をしていた。インタビューしていた増田さんたちや、ほかの初期メンバーの女性に駆け寄っていく子たちもいる。彼女たちは皆、子どもたちから親しみと尊敬を込めて「先生!」と呼ばれていた。

_ASA5941

_ASA5811

_ASA5971

なぶら御前太鼓保存会が続けてきたこと。それは演奏だけではない。礼節を教えていくなかで、自然と絆のようなものが育まれ、子どもたちは人として大切な「何か」を言葉ではなく、体験として学んでゆく。「この太鼓を、御前崎の伝統にしたいんです」と美恵子さんは言った。
それが実現するかは次の世代にかかっている。

ただ、まるで家族のように年齢の壁を越えて団欒するすばらしい時間を、彼女たちが長年にわたってこのまちに生み出したてきたのは、まぎれもない事実である。

_ASA5646

写真:朝野耕史 文:志馬唯

なぶら御前太鼓保存会

※メンバーは随時募集中です。問い合わせは御前崎市観光協会、小野木まで

(連絡先)