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Sea Life Story's vol.9

16歳で世界ユースを制したウェイブパフォーマーはいかにして生まれ、いま何を見るのか

石井孝良くん
プロウィンドサーファー
16歳で世界ユースを制したウェイブパフォーマーはいかにして生まれ、いま何を見るのか

2017年11月、
これまで世界のトップクラスで争うなんて
夢だとされてきた日本のウィンドサーフィン界は、
新たなる、そして大いなる一歩を踏み出した。

ハワイのマウイ島、ホキーパビーチで開催された
世界大会「アロハクラシック」において、
21歳以下が出場するユースクラスのチャンピオンに、
御前崎に生まれ育ったあどけない少年が輝いたのだ。

いままで地元生まれのプロが1人もいなかった田舎町で、
なぜ彼がシンデレラボーイとなり得たのか、
その理由と、彼の見ている世界を覗く。

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雄大な太平洋へとつらなる、御前崎の海岸線。視界をおおいつくす青い海で、ひときわまぶしい青年を見つけた。セイル(帆)を自由自在に操り、ハイスピードで風に乗る。瞬間、ボードは鳥のように宙へと羽ばたき、水しぶきを上げ華麗に回転。「あっ」という間に、また水の上をすいすいと滑っていく。

──波と、戯れている。

そんな言葉が、おそろしいまでにしっくりきた。同行していたカメラマンが、夢中でシャッターを切る。連続するシャッター音が、彼の素早さを物語る。たまたま通りかかった海辺での出来事。その青年が、実は青年ではなくまだ16歳の少年だと知ったのは、後日、正式に取材を申し込んだときだった。

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自宅で待っていてくれたのは、さわやかで礼儀正しい、黒髪の少年だった。真冬なのに、燦々ときらめく真夏の太陽をどことなくイメージさせるハツラツさをまとっている。石井孝良くん。5歳のころから波に乗り、いまや世界のトッププロたちとタフな戦いを繰り広げる、プロウィンドサーファーだ。

ウィンドサーフィンには、大きく3つの競技がある。スピードを競う“スラローム”。平らな水面で技を競う“フリースタイル”。そして、もっとも激しい風と波の上でテクニックを競い合う“ウェイブパフォーマンス”。中学1年生までスラロームの選手だった孝良くんは、2014年に御前崎で行われた世界大会「ワールドパフォーマンス」で海外のトッププロたちの優美なウェイブパフォーマンスに衝撃を受け、この種目にのめり込んだ。「すごいカッコイイなーって感動して。それで火が付きましたね」。

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そもそも彼が幼少期にウィンドサーフィンをはじめるきっかけになったのは、元プロウィンドサーファーであるお父さん、久孝さんの影響がある。「ある、とは思いますけど、正直あんまり覚えていません(笑)」。いつのまにか自然と海に出るようになり、本格的に競技にチャレンジしはじめたのは、小学生に上がるころ。久孝さんが仲間たちと起ち上げたマリンスポーツクラブ〈OWC(御前崎ウインドサーフィンクラブ)〉がスタートしてからだ。

「この地に移住してきたのは、孝良が生まれるずっと前、もう27年くらい経ちますかね。ウィンドサーフィン、なかでもウェイブをやる人にとって、御前崎はコンディションが日本でいちばんいい。もう、ダントツです。僕も『プロになりたいなら御前崎に行け』ってよく言われました。波がよくてサーフィンに向いてる海、風があってセーリングとかのやりやすい海ならほかにありますけど、風と波、両方がいいのは、国内ではここだけです。おそらく、世界でもトップクラスなんじゃないかと思います」。

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久孝さんも海外大会への出場経験を持つだけに、その言葉には説得力がある。東京、大阪から海を求めて御前崎に移住してくる人は、今も昔も後を絶たない。しかし、熱を入れるのは他所の人ばかりで、地元出身でウィンドサーフィンをやる人はいなかった。ましてや身近な海が、競技者たちがうらやむほど世界レベルでも稀な絶好のコンディションのよさを持っているなど、市民には知る由もなかった。久孝さんたちはその状況を憂いた。

「こんなにいいのになんでだ! って。考えたら、それは御前崎出身のプロがいないから注目されないんだ、地元の人に応援されないんだ、と。じゃあ育てようって(笑)。それでマリンスポーツクラブをつくったんです。ウィンドサーフィンは、はじめるのに道具や技術がいりますから、誰かが指導してあげなくちゃいけないんですよね」

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また、波と風のコンディションがよすぎるあまり、エキスパートはいいが、ビギナーが育ちづらい環境でもあるという。このまちには、〈OWC〉のようなプロのウィンドサーファーの指導を受けられる場所が必要だった。「御前崎には2つの海があって、クラブの練習をするのはおだやかな内海。そこで上達した子だけ、外海に入る。そっちは初心者には無理です。そうとう運動神経の優れた子でも2、3年、並みなら4、5年はかかる」。

クラブで育った孝良くんも、それは例外ではなかった。レースでのデビュー戦は「たぶん、小学校1年生のとき。ギリギリ完走できて、ビリだったんじゃないかな? もう、定かではないですけど(笑)」。天才は、最初から天才ではなかったようだ。豊饒なる御前崎の海が、世界の猛者と渡り合える実力を育んでいった。

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数多のウィンドサーファーが御前崎に憧れる理由に、海の近さがある。孝良くんの自宅から海岸まで、愛用する原チャリで5分とかからない。しかもほとんど年中、風と波に恵まれていて、練習できる量は国内ビーチでも群を抜いている。ウェイブパフォーマンスの聖地と呼ばれるゆえんだ。

中学2年でウェイブにのめり込んだ孝良くんは、下地があったとはいえ、わずか1年足らずで大人も含めた日本のトップクラスに躍り出た。それからは、ウィンドサーフィン関連の企業や地元の企業がスポンサーとなり、1年の約半分を海外で過ごすようになった。モロッコ、スペイン、ペルー、ハワイ。各国で、文字通りいろんな波にもまれながら、スキルアップを重ねていく。しかし地球上のどこにいても、彼のやることは変わらない。ただ、海に出る。それだけだ。日本にいても朝の9時には原チャリを走らせ、駐車場でさっさと着替えと準備を済ませたら海と戯れ、昼になればお母さんの手作り弁当を海岸でほおばり、日が暮れるまでまた波風に乗る。万が一風がない日はどうするのか。その答えは、彼がどれほど海を愛しているのかが一発でわかるくらい、秀逸だった。

「サーフィンやりますね。わりとキライじゃないんで」

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やはり孝良くんは、海にいる姿がいちばんシックリきていた。撮影のために少し流してほしいとお願いすると、まるでそこが陸続きかのようにひょいひょいと海へ歩いていく。セイルが立ち上がると、彼は風になった。さんざんやっているはずなのに、うれしくてたまらないといった様子。水を得た魚。ウィンドサーフィンの優劣は、波と風をいかに読めるかで差が出てくると彼は言った。波は見えるからともかく、風はどう読むのか。「いい風はわかりますよ。海面がザワザワっとなりますから」。

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「僕が大事にしてるのは、やっぱり好きでいつづけることっていうか、ホントに心から楽しむことですね。練習してても楽しいし。これからも世界を周って、トップの選手たちと同じ環境で実力をつけていく。25歳までには世界の頂点に立ちたいと思っています。ユースでは1位でしたけど、そのあとに挑戦したプロでは3回戦止まり。チカラの差は感じましたけど、まだまだ上を目指せる手ごたえも感じています」

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この先の孝良くんと、日本の、御前崎のウィンドサーフィンはどうなっていくのか。久孝さんはこう話していた。「世界で戦っていくのは、孝良ひとりだけじゃないので。国内にも同世代のライバルがいますけど、ウチのクラブの下の子たちも上の背中を見て育ってますから『ああ、いけるんだ』みたいな流れはあります。いま生徒が40名くらいいますけど、彼らにとっては身近な人がそういうポジションにいて、自分たちもやれるかもしれないと。もしかしたひとりじゃ到達できなくても、チームで頑張っていけば、ハイレベルな選手が次々育っていく可能性はありますよね」

ウィンドサーファーのピークは一般的に20代後半だとされている。だからもしも御前崎の海で「J-20」と刻まれたセイルを見つけたら、ぜひとも彼の妙技に刮目してほしい。それは、地球上でもっともすばらしいウェイブパフォーマーへの階段を駆け上がる若者の、今しか見られない貴重なパフォーマンスなのだから。

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写真:中村ヨウイチ 文:志馬唯

石井孝良ブログ

OWC(御前崎ウインドサーフィンクラブ)