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Sea Life Story's vol.29

海のまちの、ちょっと変わった経歴を持つヨギーの、人生が楽になる話

AYAYOGA代表
静川彩子さん
海のまちの、ちょっと変わった経歴を持つヨギーの、人生が楽になる話

世の中が大きく変わってしまって、
ライフスタイルを見直す人が多くなった。

新しい生活を模索している人を見かけるのも、
もはや茶飯事だ。

今回のUMICOは、海のまちで暮らす
とあるヨギー(ヨガをする人)のもとへ。

彼女が放つ言葉には、
この時代をどう過ごしていけばいいか、
そのヒントのようなものが、ちりばめられていた。

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将来を思い描いたとき
「あ、これはいいな」と思えた

エンターテインメント、音楽業界と聞いてふくらませるイメージは、とても華やかだ。東京のど真ん中にあるオフィスで、日本や海外のトップアーティストのステージを企画し、数万人規模の観客を熱狂させる。あるいは、音源の販売戦略を仕掛け、ミリオンセールスを達成する。きっとそこには、ほかでは得難い満足感があるのだろう。

「でも、ずっとは続けられないなーと、感じてはいましたよ。だって、アラフィフになってアイドルグループって言われても、もう私にはわかんないな、と思って。この感性をずっと保つのはムリというか」

風の吹く海岸線で遠くを見つめながら、海のまち御前崎で「AYAYOGA」を主宰するヨガ講師・AYAKO(静川彩子)さんは、都内の大手レコード会社に勤めていた10数年前をそう振り返ってくれた。当時はミリオンヒットを連発する歌姫や、日本トップクラスの男性アイドルグループ、世界一とも謡われるアメリカのギタリストなどの国内での宣伝戦略を企画する日々。いわゆるマーケティングプロデューサーと呼ばれる仕事をしており、自分にも周りにも「秒で働く感覚」を強いるほど多忙を極めたという。そしてキャリアの終盤には、コンサートツアーを一切しないことで知られる世界的女性アーティストの来日パフォーマンスを企画し、実現させる。まさに業界の第一線。華やかなステージの裏側に、彼女はいた。

それがどうして、遠く離れた海のまちでヨガを教えることになったのか。およそ結びつきそうにない点と点は、さりげない一言で、おぼろげな線になった。

「あるとき、体調を崩したんですよ。過労と運動不足がたたったのか、突然まっすぐ歩けなくなったんです。病院行ったら変な色の薬を出されて……。これはもう運動しないとダメだなと。最初はランニングをはじめてみたんですけど、すぐに足をくじいちゃった。それでヨガ。即決です」

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秒で働いていましたから、判断だけはけっこう早いんです、と冗談めかしながら彼女は言う。しかし、後々のこともちゃんと考えて道を選んでいたようだ。

「定年がなくて、自分の健康のためにもなって、当時は結婚するつもりじゃなかったから、歳を重ねてもできるもので探して。ヨガなら将来的に教室を開いて、おばあちゃんになったら毎日夕飯のおかずを生徒さんが持ってきてくれて、生きてるかどうかを確認してくれる。あ、これバッチリだ、と思って(笑)」

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茶目っ気ある口調で、AYAKOさんは当時描いた理想の老後を語る。そして彼女は、レコード会社で働きながら、ヨガインストラクターの資格を取得した。「もう忙しすぎて、毎日キレてましたよ」と笑うほど忙殺されていた仕事の合間を縫ってスタジオへ行き、ヨガで心を静め、またすぐピリピリした現場に戻る。まるで風に吹かれてクルクルと回転する風見鶏のように、せわしなく感情を切り替える日々が日常になっていったという。

やがて中学の同級生と再会し、結婚。パートナーが御前崎の寺を継ぐことになったので、一緒にこの海のまちへ移住してきた。

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「東京に比べたら、ホントに何もない。
でも、豊かなんですよね」

「都心を歩いていると、けっこう怖い顔して歩いてる人いますよね。私もそうでしたけど。でね、こっち(御前崎)に来ると、みんなにっこり、やさしいんですよ。最初はあまりにもやさしいから、何か裏があるんじゃないかと思って、身構えてましたけど。接するうちに、ああ、ホントにやさしいだけなんだな、と」

日本のあらゆるモノが集約される1000万人都市から、人口3万人の静かな海のまちへ(しかも彼女の出身地は神奈川だ)。その暮らしのギャップは、とてつもなく大きい。当初、本当に暮らしていけるのかと心配したのは、本人よりも周囲にいた御前崎の人たちだったようだ。

「いろんな人に移住して大丈夫なのかと言われましたけど、みんなが思うほど困らなかったんです。食べ物だっておいしいし。そう、あのイチジクの熟れたヤツとか、田舎じゃないと絶対に売ってないですよね。それに“タタキじゃない”カツオ! あのおいしさだけでも、すごい満足できます。で、空も土地も広いし、スクランブル交差点渡らなくていいし。満員電車にも乗らなくていいし、子育てにもいいし。人がゆっくりしていて、ヨガも教えられる。もう、満足ですよね」

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もちろん、暮らしに微塵も不満がないわけではないだろう。しかしAYAKOさんは、「そもそもどんな土地で暮らそうと、何もかもがうまくいくはずなんてない。だからこれで十分」と、おおらかなスタンスだ。そのバランス感覚で現状を受け止めながら、ないものを手に入れ、新たな道を一歩ずつ切り開いてきた。

ヨガを少し見せてもらえませんか、とお願いすると、AYAKOさんは快く引き受けてくれた。慣れた手つきで砂浜にヨガマットを敷き、直立不動のポーズをとる。瞬間、彼女を取り巻く空気だけがすうっと澄んでいく、ように見えた。まるで大自然に溶けていくようなイメージ。風を、大地を、波の音を全身で感じているのが伝わってくる。潮風と波の音に包まれて、しなやかに身体を動かすその姿はとても自由で、都会のオフィスでピリつくキャリアウーマンなんて、このまちで暮らす彼女には似合わないな、と思えた。

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「田舎も十分、豊かじゃないですかね」

ヨガを実演してもらったあと、海辺を散歩しながら、彼女はそう言った。

「この前ね、小学校3年生になるウチの息子が、干物をつくってくれたんです。魚を丸一匹持ってきて、自分で捌いて。ビックリですよね。それって、どんなテストで100点取ってくるより、よっぽど感激した。このまちには、お金をほとんど払わなくても“そういうことを教えてくれる環境”があるんです」

自宅から数分で行ける海岸線ではマリンスポーツも盛んだが、地元の人たちの憩いの場ともなっている。

自宅から数分で行ける海岸線ではマリンスポーツも盛んだが、地元の人たちの憩いの場ともなっている。

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その言葉通り、『AYAYOGA』の受講料もまた、都会のそれからは考えられないほど安価だ。

「ヨガって女性のイメージが強そうですけど、男性も女性も半分ぐらいじゃないかな。年齢も幅広くって、男女ともに下は10代から、上は80代まで。お子さんを連れてくる方もいますし。そもそも固定の会員さんなんてほとんどいなくて、いつも開催日を告知して、みんな予約もなしにふらっと来る。それでもかなりの人数が集まってくれますよ。で、終わったあとは、なんかスナックみたいなんです(笑)。コロナになる前はお茶を出してて、そこでみんなの顔を見て、話を聞いて。若い方と年配の方とか、地元の人と他所から来た人が、情報交換したりする交流の場にもなってる。私もけっこういろいろ教えてもらいましたね。どこにパン屋があるとか、あそこの病院がいいとか、こういうときはどこに行けばいいとか。たまに愚痴を言いあったり。そんな感じで、気軽にいろんな人に来てもらってます」

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海の見える家で、家族とともに暮らし、大きな犬を飼って、子どもはのびのびと育つ。時間のあるときに、自分に無理のないペースでヨガ教室を開き、生徒さんたちとゆるやかな時間を過ごす。AYAKOさんは「東京で描いていた“理想の老後”を、一足早く達成してしまったんですよね」と笑った。最近は以前から興味のあった、通信制の美大でアートに関することを学んでいるらしい。絵画も描いているようだ。

「将来的(老後)にやりたかったことを早くも達成してしまって、この先どうしようかなって考えるときもあります。でもヨガをやってると、いい意味である程度のことは何でもよくなってくるんです。ヨガは生活の中で偏ってる体のクセをニュートラルにするんですけど、繰り返しているうちに内面もちょっとずつニュートラルになってくるんですね。変なこだわりがどうでもよくなるというか、ガツガツした部分がなくなっていく。でも自分の好みはしっかりあって。選択肢、視界だけが広がり、柔軟に考えられるようになる感じですかね。煙草もすっごい吸ってたんですけど、それもどうでもよくなった。だからといって情熱がないわけじゃない。暮らしもヨガも、情熱を向けた結果がこれなので。先のことはわからないですけど、とりあえずヨガ教室は100歳までやるつもりなので、いつでも来てください(笑)」

海のまちの、ちょっと変わった経歴を持つヨギーは、きっとこれからも自由なライフスタイルを謳歌するのだろう。周りの人に、ちいさなシアワセを振りまきながら。

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写真:朝野耕史 編集・文:志馬唯